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大阪高等裁判所 昭和34年(ネ)317号 判決 1962年10月31日

控訴人(原告) 冨士原繁雄外一名

被控訴人(被告) 富士製鉄株式会社

主文

控訴人名児耶と被控訴人間の原判決を取消す。

控訴人名児耶に対し被控訴人が昭和二五年一〇月二五日付意思表示によつて為した解雇は無効であることを確認する。

控訴人富士原の控訴はこれを棄却する。

訴訟費用は控訴人名児耶と被控訴人間に生じたもの(第一、二審とも)は、これを被控訴人の負担とし、控訴人冨士原の控訴費用はこれを同控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人が控訴人等に対し、昭和二五年一〇月二五日付意思表示によつてなした解雇は無効であることを確認する。訴訟費用は被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出援用認否は、

控訴代理人において事実関係につき、

連合国最高司令官マックァーサーの声明又は書簡は、本件解雇に法的基礎を与えているものではない。即ち、昭和二五年五月三日付声明は、当時の共産主義運動に対する日本国民の心構えについて警告したにすぎないものであり、同年六月六日付書簡は、日本共産党中央委員の公職からの追放を明らかにしたものであつて、党幹部の追放に法的根拠を与えたものとしても、全ての共産党員又はその同調者の追放を義務づける法規範を設定したものと解することは困難であり、同年六月七日付書簡は、アカハタの編集担当者数名の追放を指令したものであり、同年六月二六日付書簡はアカハタに対し、三〇日間の発行停止の処分をなしたもので、いずれも直接にはアカハタ及びその後継紙並びに同類紙を対象としており、一般私企業をも対象としているものとは解せられず、同年七月一八日付書簡は、直接的にはアカハタ及びその後継紙並びに同類紙の発行に対し課せられた停刊措置を無期限に継続することを指令すると共に、裏面において、共産主義者の公的報道の自由の使用拒否を要請しているのであつて、その前提的説示の中にも、日本国民又は日本重要産業の経営者に対する法的要請と解釈すべき根拠は見当らず、これらの一連の書簡の外に、当時連合国最高司令官から、公共的報道機関のみならず、その他の重要産業の経営者に対しても、共産主義者又はその同調者を排斥すべきことを直接に要請した指示又は前記書簡を右の要請と解すべき旨の解釈指示の如きものがなされた証拠がない。総司令部エーミス労働課長も、昭和二五年九月二七日の日経連総会においていわゆる「赤追放」は経営者、組合が話合に基き行つたもので、総司令部の指令でないことを明言している。仮りに百歩を譲り、レッドパージが占領下として已むを得ない措置であつたとしても、その後独立国家となつた現在に於ては、当然その効力が再検討せらるべきで、憲法に違反し、合法的根拠を持たぬマ声明、書簡に基く措置がこのまま是認されることは、国家と法の権威より見て由々しき問題であり、著しく公平の原則に反するものである。と述べ(証拠省略)、

被控訴代理人において、事実関係につき、

連合国最高司令官の昭和二五年五月三日付声明、同年六月六日、七日、二六日、七月一八日付各書簡は本件解雇の基礎となつたものであるが、右は既述のような連合国の占領政策であるに止まらず、この政策達成のための必要措置として、公共的報道機関のみならず、その他の重要産業の経営者に対しても、その企業内から共産主義者及びその支持者を排除すべきことを含む指示と解すべきであつて、当時わが国の国家機関及び国民は連合国最高司令官、連合国官憲の発する一切の指示に対して服従することを法的に義務づけられており、指示についての疑義も発令官憲の解釈を以て最終のものとされていた。そして、最高裁判所の昭和三五年四月一八日決定によれば、前記書簡を以て重要産業からも共産主義者及びその支持者を排除すべきことを要請する指示であると解すべき旨の解釈指示が最高裁判所に対してなされたことを判示しているから(右の解釈指示のなされたことが、当裁判所にも顕著な事実であるということを主張するものではない)、右の国家機関たる最高裁判所に対してなされた解釈指示に徴しても、右解釈内容と同旨の連合国最高司令官の指示が存在していたことが明らかであり、それは超憲法的法規範の設定を意味するものである。これらの指示が平和条約の発効によりその効力を失つたとしても、その行為当時の法令に基き適法になされた本件解雇の効力には消長を来すものではない。そして被控訴会社の事業が前記指示にいう重要産業に該当し、控訴人両名は共産主義者又は少くともその支持者であるから、本件合意解除又は解雇は、他の諸点について論ずるまでもなく適法有効である。

被控訴人が本件解雇を含む特別人員整理を実施するに当つては、これについての連合国最高司令部の示達が法令指令か単なる事実上の要請であるかにつき若干の論議もあつたので、特に国内法に照しても瑕疵のないことを期し、共産党員及び支持者としての活動のうち、特に業務阻害的部分に着目して一定の整理基準を定めこれに該当する者を対象としたのであるが、右は被控訴人の設定した就業規則に適合するから適法である。即ち、被控訴人の広畑製鉄所社員就業規則第四九条第二号の「事業上の都合によるとき」第三号の「その他前各号に準ずる程度の已むを得ない事由があるとき」というのは、会社の存立と全く相容れない方針を堅持してその方針に基いて、企業の健全な運営に支障となるような言動をなす者を整理する場合を含むことは当然である。

控訴人冨士原との雇傭関係は一方的解雇でない任意の退職届による合意解除によつて終了したものであるが、仮りに控訴人主張のような一方的解雇がなされたとしても、同人には本件整理基準に該当する業務阻害行為があるから、前記就業規則に基いてその解雇は有効であり、しかも同人は右解雇に伴う諸手当金を異議なく受領し、これにより右解雇を裁判上裁判外において争わない旨の合意をなしたものであるから、本件解雇の効力を争う訴の利益がない。また、控訴人名児耶も解雇後において供託された解雇に伴う諸手当金を無条件に受領し、これにより前同様解雇の承認をしているから、同じく本訴の利益を欠くものである。そうでないとしても、控訴人等は長期に亘りその復職について何等の措置をとることなくして経過したものであるから、今に至り、本訴によりさきの解雇の効力を争うことは、権利行使の理念に照らし、また労使関係の特殊性に鑑み、信義則に反すると同時に、権利を濫用するものである。なお被控訴人の退職勧告は、被控訴人が解除の申込をしたものではなく、単にその申込の誘引をしたに止まるもので、これに対し控訴人冨士原が解除の申込を為し、被控訴人がこれを承諾して合意解除が成立したものである、と述べ…(証拠省略)…たほか

原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

理由

控訴人等がもと被控訴会社広畑製鉄所に勤務する従業員であつたこと、被控訴人が控訴人に対し、昭和二五年一〇月二五日、いわゆる解雇通告(その性質が一方的解雇の意思表示であるか、退職勧告及び条件付解雇の意思表示であるかは、しばらく措き)をなし、これにより控訴人等と被控訴人との雇傭関係解消行為(その原因が合意解除か、一方的解雇かはしばらく措き)をしたことは当事者間に争がない。控訴人等は、右雇傭関係の解消行為が憲法、労働基準法、公序良俗に違反し(即ち、国内法規の適用により)無効であると主張するに対し、被控訴人は、右は超憲法的法規に基きなされたもので(即ち、国内法規は適用されず)、国内法によりその効力は否定されないと抗争するので先ず被控訴人主張の超憲法的即ち超国内法的法規の存否につき判断する。

被控訴人が右超憲法的法規として指摘する連合国最高司令官マックァーサーの声明、書簡(その内容は当裁判所に顕著である)を検するに、先ず、昭和二五年五月三日付声明は、日本共産党が公然と、国外からの支配に屈服し、日本国民の利益に反するような運動方針を採用していることを非難し、「現在日本が急速に解決を迫られている問題は、全世界の他の諸国と同様、この反社会的勢力を、どのような方法で国内的に処理し、個人の自由の合法的行使を阻害せずに国家の福祉を危くするこうした自由の濫用を阻止するかにある。」「今後起る事件がこの種の陰険な攻撃の破壊的潜在性に対して、公共の福祉を守りとおすために、日本において断乎たる措置をとる必要を予測させるようなものであれば、日本国民は、憲法の尊厳を失墜することなく、叡知と沈着と正義とをもつて、これに対処することを固く信じて疑わない。」と述べているのであつて、その限りにおいてこの声明は、当時の共産主義運動に対する日本国民の心構えについて警告したに過ぎないものと解せられ、日本国民を具体的に拘束するような法規範としての性質を到底認めることはできない。次に同年六月六日付書簡は、日本国民の間における民主主義的傾向の強化に対する一切の障害を除去することが、ポツダム宣言の基本方針であることを説き、「代議政治による民主主義の線に沿つて、日本が著るしい進歩を遂げているのを阻止し、日本国民の間に急速に成立しつつある民主主義的傾向を破壊するための手段として、真理をゆがめることと、大衆の暴力行為をたきつけることによつて、この平和で静穏な国土を無秩序と斗争の場に転化しようとしている」勢力のあることを指摘し、かかる見地から、日本共産党の中央委員の公職からの追放を明らかにしたものであつて、党幹部の追放に法的根拠を与えたものとしても、これをもつて、日本の国家機関並びに一般国民に対し、全ての共産党員又はその同調者の追放をも義務づける法規範を設定したものと解することは困難といわざるを得ない。更に同年六月七日付書簡についてみると、右は、自由且つ責任ある言論の発達を奨励し援助することが、基本的な政策であることを明らかにすると共に、当時の共産党機関紙アカハタが「共産党内部の最も過激な不法分子の送話管を演じており、官憲に対する反抗を挑発し、経済復興の進展を破壊し、社会不安と大衆の暴力を生ぜしめるために、無責任な感情に対する勝手で虚偽に満ち煽動的反抗的な呼びかけを掲載して来た」として、アカハタの編集担当責任者数名の追放を指令したものであり、また同年六月二六日付書簡は、前記書面の発表後も、アカハタが依然煽動的な行動を続けたとして、これに対し三〇日間の発行停止の処分をなしたものであつて、いずれも直接には、アカハタ及びその後継紙並びに同類紙を対象としており、拡張して解釈するとしても、公共的報道機関一般についてはさておき、それ以外に一般私企業をもその対象としているものとは解せられない。最後に、同年七月一八日付書簡についてみると、これはわが国の報道関係企業におけるいわゆるレッドパージの法的根拠を提供したものとして極めて重要な書簡であるが、これによれば、「日本共産党の公然と連繋している国際勢力が、民主主義社会における平和の維持と法の支配の尊厳に対して更に陰険な脅威を与えるに至り」「かかる情勢下においては、日本においてこれを信奉する少数者が、かかる目的のため宣伝を播布するため、公的報道機関を自由且無制限に使用することは、新聞の自由の概念の悪用であり、これを許すことは、公的責任に忠実な日本の報道機関の大部分のものを危険に陥れ、且つ一般国民の福祉を危うくするものであることが明らかとなつた。現在自由な世界の諸力を結集しつつある偉大な闘いにおいては、総ての分野のものはこれに伴う責任を分担し、且つ誠実に遂行しなければならない。かかる責任の中、公共的報道機関が担う責任程大きなものはない」「現実の諸事件は、共産主義者が公共の報道機関を利用して、破壊的暴力的綱領を宣伝し、無責任、不法の少数分子を煽動して、法に背き、秩序を乱し、公共の福祉を損わしめる危険が明白なことを警告している。それ故、日本において、共産主義者が言論の自由を濫用してかかる無秩序への煽動を続ける限り、彼等に公共的報道機関の自由を使用させることは、公共の利益のため拒否されねばならない。」とあつて、直接的には、アカハタ及びその後継紙並びに同類紙の発行に対し課せられた前記の停刊措置を無期限に継続することを指令すると共に、裏面において、共産主義者の公的報道の自由の使用拒否を要請しているのであるが、このうち「総ての分野のもの」の「責任」への言及は、その対象が極めて漠然としており、説示の内容よりしても、単に窮極的に報道機関の持つ責任を抽出するための前提的ないし前置的説示とみるが至当であり、これを特に日本国民又は日本重要産業(この概念自体、いかなる範囲の産業を指称するものか極めて不明瞭である)の経営者に対する連合国最高司令官の法的要請と解釈せざるを得ない根拠なるものは全く薄弱であつて、到底かく解することはできない。そして、右一連の声明、書簡の外に、当時、連合国最高司令官から、公共的報道機関のみならず、その他の重要産業に対しても、共産主義者又はその同調者を排除すべきことを直接に要請した指示がなされたことを認めるに足る証拠がない。被控訴人は、この点につき、当時最高裁判所に対し、これらの声明、書簡を、被控訴人主張のように、公共的報道機関以外の重要産業をもその対象とする指示と解すべき旨の解釈指示がなされたとして、これを右書簡等の拘束力の内容の最終的有権解釈であると主張するけれども、若し右解釈指示が日本のすべての裁判所に対する有権的解釈指示としてなされたものであるならば、下級裁判所にその旨の通達がなされて然るべきであるのに、そのことが見られない点から考えると、日本のすべての裁判機関及び国民全体を拘束する公然の有権的解釈と見ることは困難であるのみならず、仮に最高裁判所に対する指示はすべての裁判所に対する指示であると解するとしても、それはむしろ特殊の性質即ち裁判機関に対する具体的な裁判施行上の命令に近いものであり、一般の実体的効力を有する法令に比肩ないしこれを超越する性質のものとは解し難く、少くともこれに、現在の当裁判所の裁判を拘束すべき効力を是認することは甚だ疑われるところである。むしろ成立に争のない甲第八号証、真正の成立を認める甲第一六号証の一、二、証人中村隆司の証言、並びに後述の本件解雇措置に使用された整理基準の内容を綜合すると、連合国最高司令部は、前記の声明、書簡に窺われる如き報道機関を中心とする分野よりの共産主義的不法分子の排除命令に併行して、鉄鋼、電気、石炭、運輸、交通機関その他いわゆる国の基幹産業より、共産党員及びその同調者で破壊的活動を企図し、又は実施するものを、日本国民殊にこれらの産業経営者が自主的にその責任において排除すべきことを、占領政策として勧奨し、且つこれを事実上支援したものであつて、このことはいわゆるエーミス労働課長の談話によつても窺い知られ、これにより昭和二五年八月から一〇月頃までにこれら諸産業から相次いで、かかる共産主義的破壊活動者と目された者の排除措置(いわゆるレッドパージ)が採られ、本件解雇措置もその一環としてなされたものであることが、事の真相に外ならないものと認めることができ、被控訴人の本件解雇措置の根拠についての弁論の経過に徴しても、右の事情は看取されるから、被控訴人主張の超憲法規を根拠とする本件解雇ないし合意解除の適法性は、これを是認することはできない。

また被控訴人は、本件解雇措置が占領政策の示すところに適合するから、国内諸法規の如何に拘らず有効であると主張するけれども、一般に政策なるものは、その施行の効果が法的に是認されるためには、それが適法行為たることを要するから、占領政策が連合国自身により直接に権力的に施行される場合は兎も角として、その間接統治下において、かかる権力者でない被控訴人の行為は、結局政策順応者の行為に過ぎないから、それが一般的に見て占領政策に適合し、その動機において諒とされる行為であつても、これによりそのすべての行為が正当化されるものではなく、別にその個々の行為につきその適法性を保障する国内法規の根拠を必要とすることは多言を要せずして明白であるから、その政策合致の故を以てその行為の一切につき国内法規に超越した正当性を直ちに認める訳にはゆかない。よつて被控訴人の行為は国内法的批判を免れることはできない。

そこで控訴人等の本件雇傭関係解消行為の国内法的効力について判断を進める。先ず控訴人冨士原の関係につき、同控訴人は被控訴人が一方的解雇を為したものと主張するに対し、被控訴人は、退職勧告(合意解除の申込の誘引)に応じた合意解除がなされたと抗争するので、この点につき按ずるに、被控訴人が昭和二五年一〇月二五日に右控訴人に対して為した申入に対して、同日同控訴人が退職願を提出し、被控訴人がこれを受理したことは当事者間に争がないので、右退職願提出の原因となつた被控訴人の申入の法的性質について見るに、成立に争のない甲第四号証、乙第三号証の一によれば、右申入の内容は、同月三〇日までに退職申出を為すことを勧告し、その申出があつた場合は依願解職の取扱として、通常の退職手当、予告手当の外に、特に定めた特別手当を支給すべき旨申入れると共に、もし退職申出のない場合は、同月三一日付を以て被控訴人より解職即ち一方的解雇を為すべきことを申入れたものであつて、その後段の趣旨は、停止条件付解雇の意思表示であることは極めて明白であり、右前段の趣旨は、一見すると、従業員よりその自発的になす通常の退職申入を期待するが如き単なる誘引的行為の如く見られないでもないが、本件の場合は、相手方を指定しない人員整理のための退職勧告や、通常の入社勧誘の如き、相手方の申込即ち具体的意思表示を俟つて、改めてこれに対処する具体的意思を決定する場合の前提的試みとは甚だ趣を異にし、特定の相手方を定めて、自己の意思内容を具体的に明示し、これに対する応答により直ちに事を決する態度を決めた確定的且つ積極的な意思の提示であることが、前記申入の内容から充分看取し得られ、しかも右申入に対する諾否如何を以て、後段の一方的解雇の条件の成否を決しようとする点にその具体性確定性は一層明確であるから、右前段の申入はこれを以て単なる退職の誘引ではなく、具体的な退職の提案即ち合意解除(厳密には解約)の申込であると解するを相当とする。これに対して右控訴人は右申込を受けた即日、前記の通り退職願を提出し、その退職願の内容は成立に争ない乙第三号証の四により、外形的にはむしろ自発的に退職を決意し申入れる旨を表示していることが認められ、前記被控訴人の申込に対する承諾の意思を示すにあまりがあり、さらに成立の争のない乙第三号証の五、六と証人宮崎武、宮永半の証言、控訴人富士原本人尋問の結果(原審及び当審)によると、同控訴人は前記退職願提出の翌々日たる同月二七日退職に関する諸手当金を何等の留保なく受領し、退職に伴う諸手続をも円満裡に完了したことが認められ、これに反する証拠はない。そうすれば、控訴人冨士原については、被控訴人の解除申込に対する承諾という方法により、契約の合意解除がなされたものと認めなければならない。その原因を為した被控訴人の申入が、たとえその拒否が後段の一方的解雇の解雇の条件を為しているとしても、これに応じて即時に契約解消の効果を生ぜしめたことにつき、決定的原因を為したものは、あくまでも右控訴人の承諾の意思表示(即ち退職願の提出)であつて、被控訴人の申入のみでは、直ちに無条件に契約解消の効果、特に、別に提示された一方的解雇の効力内容よりも一層有利な条件に基く解除の効果が発生するものではなく、それがためには右控訴人において、その効果を享受すべく意思決定のための撰択判断の余地があり、その自主的判断に基いて事を決したものというの外なく、また、もし右の応諾の結果を欲しないと同時に、後段の一方的解雇をも欲しないならば、両者共にこれを拒否する自由判断の余地が存していたものであるから(現に控訴人名児耶は、この道を選び、その一方的解雇の効果を争う態度を採つているから、それが仮りに多少の困難を伴つたとしても、少くとも充分可能であつたことは明白である)、被控訴人の申入それ自体を以て一方的解雇とする控訴人の主張は失当たるを免れない。右退職願の提出を以て心理的圧迫の結果の心裡留保であるとの右控訴人の主張も、それが一方的解雇の主張と如何に関連するかは別論としても、右心裡留保を認め得る証拠がなく、前認定の退職願提出の前後事情に徴しても、右退職申出が右控訴人の真意に出たものであることは明白であつて、右主張は理由がない(そしてまた、条件付の一方的解雇と結合せしめた前記の解除申込は、それ自体において、その申込を受けた相手方を、他の従業員に比して或程度不利益な地位(確定的ではないにしても)に陥れるものであることは了解し得るところであるが、その申込自体を違法とし、無効ならしめる法律上の原因については控訴人の主張、立証がないから、この点の判断の余地もない)。結局、控訴人冨士原については、その効力を争う対象たる一方的解雇の法律行為の存在は、遂にこれが証明なきに帰するものであるから、同控訴人の請求は、他の争点につき判断するまでもなく理由がない。

次に控訴人名児耶の関係について見るに、被控訴人が右控訴人に対して昭和二五年一〇月二五日解雇に関する申入を為したことは当事者間に争なく、成立に争のない乙第四号証の一によれば、右申入の内容は、さきに認められた控訴人冨士原に対する分と全く同様の趣旨であることが明らかであり、右申入所定期限たる同年一〇月三〇日までに退職申出がなかつたことは弁論の全趣旨により明らかであるから、右申入に定まる停止条件が成就し、同年一〇月三一日解雇の外形が生じたものと認められ、右解雇は右申入の直接の効力と見るべきである。そして同控訴人において本件請求の対象とする昭和二五年一〇月二五日付を以て為された解雇とは、右即日無条件に成立した解雇のみならず、前記の同一意思表示を直接原因とする右条件付解雇をも含む趣旨であることは容易に推認することができる。よつて、以下、右条件付解雇意思表示により生じたとされる解雇の効力について判断を進める。

先ず右控訴人に対する解雇が如何なる理由により行われたかを見るに、被控訴人は、それが被控訴会社の広畑製鉄所社員就業規則第四九条第二号及び第三号に基くものであり、これを適用すべき内部的基準として特に設けた整理基準に該当したことに因ると主張する。そして証人秋田堯の証言により成立を認める乙第二一号証、成立に争のない乙第二号証、甲第五号証によると、被控訴会社の広畑製鉄所社員就業規則には、被控訴人の主張する通りの規定が存在し、即ち第四九条には「社員で左の各号の一に該当する場合には、三十日前に予告し、又は平均賃金の三十日分を支給して解雇する」とし、第一号として「心身の故障のため業務に堪えないと認めたとき」、第二号として「事業上の都合によるとき」、第三号として「その他前各号に準ずる程度の已むを得ない事由があるとき」の定めがあり、また、本件解雇を含む人員整理を為すにあたり、昭和二五年一〇月、「特別人員整理要綱」と称するものを設け、その根本方針として、「他よりの指示を受けて常に攪乱的煽動的言動をなし、他の従業員に悪影響を及ぼし又は及ぼす虞れある者、その他鉄鋼産業の社会的使命の達成を妨げ又は妨げる虞れある者等、企業の健全な運営に支障となるような一部従業員」を排除することを決定した事実が認められる。そして被控訴人は、控訴人名児耶が右整理基準に該当する事由として被控訴人主張の(イ)ないし(ヘ)の所為を挙げるのであるが、そのうち、

(イ)の事実については、証人秋田堯の証言により成立を認める乙第二二号の二の四と右証人及び証人宮永半の証言、控訴人名児耶本人尋問の結果(原審第一、二回及び当審)によれば、右控訴人がその前勤務先たる千葉県下の入江醤油醸造株式会社において、昭和二五年春頃賃上要求を為し、その首謀者として解雇されたので、これに反対し、その撤回要求のためにハンガーストライキ等の労働運動を行つてその要求を貫徹し、解雇を撤回させたこと、及び被控訴会社への入社試問の際、右の事実を自発的に開陳しなかつたことが認められるけれども、右勤務先は最終的に解雇されたものでなく、社主の世話により被控訴会社の当時の広畑製鉄所長に紹介され、任意退職して転職したに外ならないことが、前掲各証拠により明らかであり、また、入社試問の際、前勤務先の退職事由については質問を受けたことは証人尾上直樹の証言により認められるが、前記組合活動の内容についてまで詳細に尋問された事跡は認められず(この点に関する証人尾上直樹の証言はたやすく措信し難い)、むしろ右証人の証言によれば所長の縁故紹介者として特に単独試問を受け、前歴等につき大して詮索もされずに採用されたことを推測し得るのみならず、右の労働運動の事実は固より何等不行跡でもなく、自ら積極的に申告を要する重要経歴に該当しないから、深く論ずるまでもなく、正当な解雇事由に該当しない。

(ロ)の事実については、同控訴人が成立を認める乙第一八号証の一、二、証人松本恒夫の証言により成立を認める同第二二号証の二の一、証人秋田堯の証言により成立を認める同号証の二の三、証人宮永半、秋田堯、松本恒夫の証言、控訴人名児耶本人尋問の結果(原審第一回及び当審)により、昭和二五年九月一九日頃、右控訴人がその勤務所属部門たる工務部動力課発電係の作業員休憩所において、発電盤の巡回勤務の合間に、毛沢東の講演等を掲載した「整風文献」の表紙を「物理、電気と磁気」と偽装したものを閲読しているのを巡視中の警守に発見せられた事実が認められるが、その余の事実については、前掲乙第二二号証の二の一の記載及び証人宮永半のこの点の証言はそのまま採用し難く、他に右事実を確認すべき証拠がない。

(ハ)の事実については、前掲乙第二二号証の二の一、証人松本恒夫、宮永半、秋田堯の証言、控訴人名児耶本人尋問の結果(原審第一回及び当審)によると、同控訴人は、本件解雇前において、共産党機関紙「民主日本」を職場及び寮内に持込み、勤務の合間に自らこれを閲読し、かつ同僚にも閲読を勧めたことが認められるが、これを強制したとの点は確証がない。

(ニ)の事実については、前掲乙第二二号証の二の一の記載及び証人松本恒夫、宮永半の証言中に、右主張に副う部分があるが、いずれも伝聞に過ぎず、控訴人名児耶の本人尋問の結果に対比してたやすく信じ難く、他にこれを認むべき確証がない。

(ホ)の事実については、前掲乙第二二号証の二の一、証人松本恒夫の証言により成立を認める同号証の二の二、成立に争のない乙第一八号証の一一、証人秋田堯の証言により成立を認める乙第二三号証の一、右証人及び証人宮永半、松本恒夫の証言、控訴人名児耶本人尋問の結果(原審第一回及び当審)によると、同控訴人は昭和二五年九月中旬及び下旬に、職場内において地方税減税運動を同僚に勧誘し、また寮内において「寮生の市民税を免除せよ」とした日本共産党飾磨群委員会作成のビラを各室に配布し、以て共産党の減税ないし反税の党活動をしたこと、及び同月頃姫路映画サークル協議会なるものに関係し、同僚にその加入を勧めたこと、同年一〇月一六日頃、職場内に「原子兵器禁止のための平和投票」用紙を持込み、同僚にその投票方を勧誘したことが認められるが、その余の事実については確証がない。

(ヘ)の事実については、その存否を論ずるまでもなく、その事柄の性質が勤務先外における個人としての党活動であり、その事自体は直接に解雇事由たるべきものではない。

ところで、以上に認められた控訴人名児耶の行為中、(ロ)の「整風文献」閲読の所為は、それが共産党文献の偽装であつたとの点に、被控訴人の主観的評価の重点があつたとしても、客観的に見れば、単に勤務時間中に勤務に必要でない書物を閲読した行為に止まり、比較的軽微な事柄であり、かかる行為が一回為されたことにより直ちに解雇することは不相当の処置として論議の外であるから、非難譴責の事由とはなつても解雇事由とはなり得ないといわねばならない。右書物が共産主義の理解伸長のものであること及び(ハ)の共産党機関紙等の閲読とその勧誘行為(ホ)の減税運動、平和運動の勧誘、及び映画サークル(その趣旨が被控訴人主張の通りとしても)への加入勧誘行為は、いずれも共産主義的活動それ自体、又はこれと密接に関連するものであるから、そのこと自体が直接に自己又は他の従業員の勤務を妨害し、生産を阻害する程度は取り立てて言うに足りないものでありむしろ、職場内での党活動又は勤務時間中の労働組合活動(これは政治活動を従たる目的として認められていることはいうまでもない)の不当性として論ぜられねばならないところ、戦後、被控訴会社において、この種の党活動ないし政治活動が絶対的に禁止せられ、その行為が跡を絶ち、その違反者が常に厳重に問責、処分せられていたとの事情は、本件全証拠を通じても認められず、むしろ反対に、戦後共産主義的活動は被控訴会社の内外を通じて甚だ活溌であつて、証人秋田堯の証言によると、この種の行為は個別的に見れば懲戒ないし処分理由に該当するか否かに疑もあり、不用意な処分は却つて反抗、混乱を招くので、容易に為し得ない事情もあつて、その処分を差控えていた事実が認められるのみならず、かかる事情に在る以上は、右の程度の行為はむしろ常態に近く、一々問題にもされず、また問題視し得ない状況に在つたことが、昭和二五年六月以降に開始されたいわゆるレッドパージの前後の事情であつたものと推定され、右のレッドパージが被控訴会社の如きいわゆる重要産業にも波及し、被控訴会社においても積極的な活動分子を排除する方針を樹立した当時に至つてはじめて問題視し、批判の対象として採り上げた行為であつたことは、証人中村隆司の証言によつても、充分これを認めることができる。固より、かかる行為であつても、それが客観的に見て、従業員として著しく非難に価する行為であり、当時の情勢の如何に拘らず放置すべからざる性質のものであつたとすれば、これを後に至り重大な懲戒的処分の事由として採り上げることに何の支障もないが、前認定の(ロ)(ハ)(ホ)の行為は、本質的に見てかように重大な非行に該当せず(けだし、共産主義的活動は、それ自体としては本来個人の自由に属し、職場内におけるこれが禁止は、規律違反の性質を持つに過ぎないからである)、職場内の共産主義活動につき厳重な禁止、処分が励行されていなかつた在来の状況に徴すると、猶更その非難の程度は軽減されて然るべきである。そして、これらの行為は、被控訴人の挙げる前記の整理基準に仮りに該当するとしても、右基準自体が甚だ不明確なもので論議の余地があり、しかも右基準は被控訴人主張のように単なる内部的な便宜上のものに過ぎないから、右行為の批判は、この基準の根拠となつた前記就業規則に拠らねばならないことは勿論である。そして、従業員の職場規律違反行為が、前記就業規則第四九条第二号の「事業上の都合」に直接該当することはにわかに首肯し難いが、第三号所論の「已むを得ない事由」はその範囲に客観的な限定がない点から、個々の従業員について生じた事由をも包含するものと解することができ、従つて、規律違反行為も一応形式的にはこれに該当し得るものというべきであるが、ただすべての規律違反が、その大小軽重を問わず解雇事由たり得るものと解することの不当なことは多言を要しないから、これに該当するものは、その違反行為のうち最も重大であつて、減俸、転職等社内的処遇により反省を促す程度では足りないもの、即ち客観的に見てかかる比較的軽微な処分とは均衡の取れないものに限るものといわねばならない。そうすると、控訴人名児耶の所為は、かような重大な規律違反といえないことは前述の通りであり、解雇において解雇事由とされたものが、客観的に見て不相当で合理性を欠くことは、解雇事由の不存在と同じく、解雇原因を欠くものとして解雇の無効を招来することは当然である。被控訴人は、右控訴人が昭和二七年四月一九日頃に至り、退職に伴う諸手当金の供託書を受領し、供託金を受取つたことを以て、解雇を承認したものと主張するので按ずるに、その当時までに解雇の効力につき疑問ないし紛議があり、その効果を確定させ、争を止める目的で和解的意思を以て、解雇に伴う金員を授受したような場合は、いわゆる解雇の効力確認の和解として、爾後その効力を争い得ない効果を生ずることは有り得るけれども、本件において被控訴人の全立証によるも、控訴人名児耶との間に、かかる意思を明示して供託書を授受した事実を認めるに至らず(証人山根俊二の証言によつても、その交付金の性質について異論なき旨を確かめたのみで、解雇に伴う一切の紛議解消を約さしめた形跡はない)、被控訴人の右抗弁は採用することができない。また、本件解雇の効力を争う訴訟提起まで、数年間に至り、右解雇を争う趣旨の行動に出でなかつたことから、解雇の無効を主張することが信義則に反したり、権利濫用とされることは有り得ないから、右抗弁も亦理由がない。

そうすれば、控訴人冨士原の請求は理由なく棄却を免れないが、控訴人名児耶の請求は他の無効事由につき判断を試みる迄もなく、正当として認容すべきであるから、両者の請求を全部棄却した原判決は、その一部(控訴人名児耶に関する部分)を取消し、その余(控訴人冨士原に関する部分)について控訴を棄却すべきものとし、民事訴訟法第九六条第八九条に則り主文の通り判決する。

(裁判官 岡垣久晃 宮川種一郎 大野千里)

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